なんでもパワハラにする部下
パワハラという言葉が生まれたのは、2001年夏ごろです。
その後、継続的にパワハラの被害者を対象とした一般の電話相談窓口が開設されました。
パワハラという言葉が出来た当初は、相談内容が非常に深刻で、「役立たず」「死んでしまえ」「ここから飛び降りろ」などの暴言は当たり前、中には「灰皿をぶつけられた」「頭を思い切りなぐられた」「けられた拍子に骨折をした」などという訴えがありました。
心身への影響も深刻で、「上司が座っている席の方の耳が聞こえなくなった」「上司のいる方に首が回らない」などの身体症状に悩む人や、うつ病を発症し自殺未遂をした人もいました。
その後、マスコミに大きく取り上げられたことなどもあって、企業で啓発活動が大きく進みました。今や社会人で「パワハラ」という言葉を知らない人はいない、と言っても過言ではないと思います。
しかし、それに応じてパワハラ相談が減るかといえば、そうではありません。
実際、前述したようなひどいパワハラの相談はだいぶ少なくなりましたが、相談の数は増え続けています。しかも、特徴的な変化が起こっているのを感じています。
たとえば、下記のような相談が、実際に入ってきています。
- 「私の能力を活かす仕事を与えないで、評価を下げるのはパワハラではないか」
- 「何もわからない私に対して、一から全部わかりやすく説明するのが上司の責任。そうしないのに、仕事ができなくて叱られるのはパワハラではないか」
- 「提出期限に書類を出し忘れたことを、ほかのメンバーの前で怒鳴られた。これはパワハラだと思う」
当然、まったく上司に問題がないケースだとは言い切れませんが、部下にも仕事に対する姿勢やコミュニケーションに問題があるのではないかと感じてしまうような内容です。
また、その行為の程度からパワハラとは言えないような相談も、最近多くなってきています。
2010年度に、企業のハラスメント問題に取り組んでいる担当者を対象に実施したアンケートで、パワハラという訴えがあったものの、事実調査の結果パワハラとは判断できないようなケースがあったかどうかをたずねました。
すると、実に半数以上の担当者が、「パワハラと判断できないようなケースがあった」と回答しています。
こういう相談が増加しつつある背景には、パワハラという言葉が独り歩きをし、誤解を生じていることがあります。
処遇や業務上の不平不満を、当事者間で向き合って解決しようとせずに、パワハラという言葉に換えることで、周囲をコントロールしようとしている場合も少なからず存在します。
相談が多く寄せられること自体は、決して悪いことではありません。
ただ、本来のパワハラから外れる相談に対して対応を誤ると、いたずらに「加害者という名の被害者」をつくり、逆に職場の秩序を乱しかねないという問題をはらんでいます。
パワハラをめぐって加害者にも、被害者にもなりうる状況
そうした労働者の意識の変化に合わせて、企業の対応も変化しつつあります。
当初、パワハラ研修などを主催するのは、主に人権啓発に関する部門が大半を占めていました。
主に、「パワハラとは何か、実態はどうなっているか」ということを伝え、一人ひとりの人権を尊重し、より働きやすい会社にしていこう、というメッセージを強く打ち出していました。
現在では、CSR、法務部、企業倫理室などのコンプライアンス系の部門が、具体的なリスク管理問題として定期的に教育研修をしているだけでなく、より健全で、能力を発揮できるマネジメントを目指して、人事部や人材開発部門が、管理職研修の一環として取り組みはじめています。
パワハラという言葉の浸透とともに、その行為が人権侵害に当たるという事実を認識する時代から、どうすればパワハラがない職場をつくることができるのかをテーマにコミュニケーションや指導方法を見直す、という新しいステージに入ってきているのだと考えられます。
およそ10年前、パワハラという言葉がなかった時代とくらべると、職場で怒鳴りながら部下を叱責している上司がかなり減少したかわりに、目立たないやり方で部下を追い詰めるパワハラは依然として行われています。
また、被害者側にも改善点がある事例が増加し、その対応が困難になっています。
それと同時に、いつどんな理由でパワハラの被害者・加害者になってしまうかわからない状況になっています。